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経歴

7歳よりバレエを始める。10歳にしてニースコンセルヴァトワールに入学し、全日制の教育を受け始める。13歳でパリオペラ座バレエ学校に入学し、プロのダンサーになることを決意する。

15歳でカンヌロゼラハイタワー学校に入学。ロゼラ師による3年間の教育の中で、クラシックだけではなく様々なスタイルの踊りにも触れる。

2000年に卒業後、マーク・リボ芸術監督ニースオペラ座バレエ団に若手ダンサーとして入団。2001年にクリストフ・デュボービレジェとジル・ステラルドの指導のもとパリオペラ座バレエ団のオーディションに合格し、入団。
フランスだけでなく世界のバレエに興味を持ち、2002年にアインツ・シュポエリ芸術監督チューリッヒオペラ座バレエ団に入団する。

2003年、フレデリック・オリヴィエリ芸術監督ミラノスカラ座バレエ団に入団。

常に新しい経験を求め、2004年にジョンクリストフ・マイオ芸術監督モンテカルロバレエ団に入団。ウィリアム・フォーサイスやモーリス・ベジャールの作品に触れ、ソリスト役に指名される機会が多々ある中、アーティストとして成長する。同バレエ団のツアー公演が彼の初の来日となる。

2008年、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団にプリンシパルとして入団。トウシューズでの踊りも鍛錬される。毎年ある長期来日ツアー公演で、日本の魅力に引き付けられる。

2012年3月、エリック・ヴアン芸術監督ニースオペラ座バレエ団にソリストとして入団。様々なレパートリーの作品を踊る。

バレエダンサーとして活躍する傍ら、身体の使い方の探究もする。元パリオペラ座のスター、ウィルフレッド・ピオレとジョン・ギズリックスによるバーに頼らないメソッド、「バー・フレキシブル」を2000年より学び始める。彼らのメソッドにより、クロード・ガンバ氏自身の内側からの表現と踊りを発揮できるようになる。

2014年夏、ピオレ師とギズリックス師による福岡での「バー・フレキシブル」のワークショップにアシスタントとして同行。同氏も指導をする。

ラバノーテーション(舞踏譜)の勉学にも励む。